【バーコラム・書評】『銀座バーテンダーからの贈り物』を読んで

現在、著名なバーテンダーが執筆・監修した「カクテルブック」なるものがいくつか刊行されている。「カクテルブック」は一般的にスタンダードカクテルやクラシックカクテル、オリジナルカクテルなどのレシピを紹介し、その各カクテルにまつわるちょっとしたエピソード、カクテルの美しい写真を添えて、羅列的に掲載する体裁を取っている。

青山・表参道「ラジオ」のオザキさんの『バー・ラジオのカクテルブック』、銀座『MORI BAR』のモウリさんの『MORI BAR・毛利隆雄の別格カクテル57』、銀座『テンダー』のウエダさんの『洋酒手帳』、赤坂『Bar Tiare』のミズサワさんの『フレッシュフルーツ カクテルブック』などなど・・・著名なバーテンダーのカクテルブックの類を挙げていくとキリがない。今秋には、上野・湯島『EST!』のワタナベさんによるカクテルブックが発売予定のようだ。

 

  これらのバーテンダーによるカクテルブックは、後輩バーテンダーの勉強本として、ひいてはカクテルメイクを趣味とする一般の方々の参考書として愛読されている。とはいえ多少なりとも「内輪ウケ」感があるためか、セールス的に振るわないこともママあるようだが・・・。

今回、コラム・書評で取り扱う『銀座バーテンダーからの贈り物』は、銀座『BAR 5517』などで活躍したイナダさんによる書籍で、彼の書籍『グラス万華鏡』を加筆修正したものとなっている。一般的な「カクテルブック」とは異なり、名バーテンダー・イナダさんによる回顧録にほとんどの紙幅を割いている。もちろん、本書にもスタンダードカクテルの稲田流レシピや、洋酒の豆知識も掲載されているが、「カクテルブック」的な内容を期待してみてみるとやや期待外れのモノとなっているだろう。

だが、東京における古参のバー街・銀座/浅草の歴史・文化、「バーテン」と揶揄されていたバーテンダーの地位向上と国際バー界への挑戦、洋酒の本場での旅行・・・本書にはイナダさんの目を通して日本のバー(+バーテンダー)の歴史や現状が語られ、既存の「カクテルブック」にはない魅力が多く詰まっている。いくつか不満点もあるにはあるのだが・・・。

以下、本書の魅力を好き勝手に伝えていきたい

 


「バーテンダーへの道」

本書はまず、第一章において『BAR 5517』の慣習・流儀などについて述べた後、第二章「バーテンダーへの道」に続く。 1928(昭和3)年、北海道で生まれ育ったイナダさんは、23歳の時に上京、「食うために」新橋のキャバレー「ニュークリッパー」のボーイとして働く。彼にとってキャバレーでの経験は、【トイレ掃除の大切さ=バーを営業していく上での基本の大切さ】を自覚する一つの契機になっている。
この清掃業務から連想される“バーテンダーとしての基本の大切さ”は、本書において繰り返し述べられている。伝統や格式、高潔さを求めるのはオーセンティックバーの常であるが、バーがそれらを纏うためには徹底した清掃による清潔感の維持が必要不可欠。筆者はバーテンダーにとって単なる客に過ぎないが、汚れの目立つバーカウンターや、ホコリ・油分が付着したボトルが並べられているようなバーは利用したくないものだ。

さて、イナダさんは「ニュークリッパー」での勤務時代の後、銀座「クラブ・ドリアン」の勤務を経て、縁あって浅草の「ニューベリア」に勤務することになる。銀座・新橋と異なり、浅草のキャバレーは良くも悪くも雑多な下町文化。カルチャーショックを受けつつ、同店の先輩・イワイさんからの勧めもありカウンター業務に就くことに。イナダさんはここで初めてのバーテンダー業務に触れることになる。 浅草では「ニューベリア」の他に「スワン」や「サンライズ」といったお店でも働き、着実にバーテンダー修業を積むことになる。

この浅草時代では結婚、かねてからの「自分の店をもつ夢」を叶えることになる。自身の店『BAR いなだ』では、奥様や周囲の仲間・関係者と支え合いながら、イナダさんの技術や人柄によってお店の人気は高まっていった。

しかし、当時の浅草ではカラオケを設置するバー(「カラオケバー」やスナック的な酒場)など、お世辞にもオーセンティックなバースタイルとはいえないお店が流行していたという。そういった街の流行への疑問もあり、イナダさんは一度自身の店を畳むことになり、それが後の『BAR 5517』への入店に繋がることになる・・・。

 

イナダさんは<新橋・銀座⇒浅草⇒銀座>と色々な経験を積んでいき、その過程で芽生えた彼の「バーテンダー」としての自覚、飲食店をするための覚悟といったものが感じ取れた。それに加え、「トリスバー」の流行や洋酒のグレーな仕入れ方、浅草の良くも悪くも雑多な空気感といった、バーの歴史・文化に関する事柄も綴られていて楽しい。
しかし、若干だが不満もある。不満というか、拍子抜けしたというか。イナダさんは浅草・銀座という、都内でも古くからのバー街で活躍したバーテンダーである。そんな彼のエッセイチックな書籍とあったため、もう少し両エリアの文化・歴史的な交差を描いて欲しかった。浅草時代のバーの描き方は、もっぱら「BAR いなだ」やその他キャバレー系統のお店に関する思い出話に留まっており、浅草のその他のバーについては一切書かれていなかった。
浅草のバーといえば、1960(昭和35)年創業の『ねも』や1962(昭和37)年創業の『フラミンゴ(カフェフラミンゴ)』といった、創業から半世紀クラスのレジェンドオーセンティックバーがいくつかある。イナダさんは昭和30~40年代という期間に浅草で活躍していたため、浅草の老舗バーとの関わり合いがあってもおかしくないのだ。
しかし、そういったバーとの関係を書いていないのはやや消化不良感が残る。特に、筆者は『フラミンゴ』の現チーフ・オダさんが銀座・浅草のバー文化を吸収しつつ奮闘している姿をみていたりしていて、浅草・銀座の「繋がり・交流」みたいなところに興味があった人間である。そういった人間にとって本書の内容はいささか期待外れだった。
※まあ、そもそもイナダさん達の世代、いやイナダさんやネモトさん(『ねも』初代店主)・マキタさん(『フラミンゴ』初代店主)~キシさん(『STAR BAR』オーナー)・サコウさん(『酒向 Bar』オーナー)くらいまでの、現在のレジェンド的バーテンダー世代は仲の善し悪しが激しい。派閥のようなものまであったりもした・・・らしい(笑)。カクテルに対する姿勢やバーマンとしての哲学、某協会や某カクテルコンペでの政治的関係性などが、その複雑さを生んでいたそうだ。そんな背景があるため、イナダさん・ネモトさん・マキタさんらの間にも何かしらのアレコレがあって、本書にも書けなかったのかな?なんて邪推してしまった。

 

「アプレゲール銀座の詩」~「洋酒紀行」

前章で浅草・銀座の日々を述べた後、次の「アプレゲール銀座の詩」及び「洋酒紀行」では国外での思い出話を語っている。 「アプレゲール銀座の詩」ではイナダさんと同世代バーテンダー&ANBA(現NBAの前身)草創期メンバーのフクニシさんやサワイさんらが、日本のバーテンダーやバー文化、カクテルメイクテクニックの向上・普及に奔走する日々が綴られている。具体的な中身はIBA(国際バーテンダー協会)との関係や、アジアとして初の加盟~東京大会開催までの経緯となっている。
IBA加盟までのイナダさんらの<お・も・て・な・し>や、大会の様子が書かれているものの、登場するバーテンダー・スタッフの皆さんがこれまで何をしていたか、どんなバーテンダーなのかをあまり知らない筆者としては、誠に残念ながらやや退屈な内容となってしまった・・・。
「知らない」は、やや強引に換言すれば「知ることができない」になる。というのも、既に鬼籍に入られていたり、第一線から退いていたりと様々な理由から、どれだけバーを巡っていこうとも「実際にバーでお会いできない」クラスのバーテンダーの皆さんだったのだ。あまりよく知らないバーマンばかり且つ個々人に焦点を当てた内容でもないため、登場人物に親近感も湧かず、歴史・文化的観察としてもあまり進まなかった。
さらに言えば如何にしてIBAを口説いて、彼らがどれだけ喜んで、最終的に大会は無事成功したというサクセスストーリーは十分に描かれているのだが、そこにちょっとしたシニカルめいた面白さはほぼないため読み物として惹かれなかった。
例えば、イナダさんが属する全日本バーテンダー協会(ANBA)と、日本バーテンダー協会(JBA)の軋轢・和解の過程や、イナダさんらが加盟・大会開催するための思い、IBA側の裏事情みたいなものがあればもっと面白かったかもしれない・・・。 まあ本書はANBAの発展に尽力した稀代のバーテンダーのエッセイであって、落ち目のタレントの暴露本ではないため致し方ないことだろうが(笑)。

続く「洋酒紀行」ではウィスキー・ブランデー・ラムなどの聖地巡りの様子が綴られている。こちらはシンプルに酒好きとして「あー行ってみたいな」と思わせる内容。申し訳ない、それだけ。たぶん実際に行ってみて初めてこの章の良さがジワリと滲んでくるだろう。  

「並木通りの記憶」

最終章のココは出生地での思い出やメディア出演エピソード、現協会へのチクリといったこぼれ話集の趣がある。こぼれ話といえどいくつか気になったものがある。

例えば現役バーテンダーに対する提言の部分。要旨としては「カクテルテクニックを磨くのも良いが、それがコンペに対するものになっていないか?バーテンダーの本分はカウンター内での仕事ではないのか?」ということだと思う。筆者のようなカクテルコンペに興味のない、ただバーとお酒が好きな人間にとってこれは同意でしかない。
古くからのコンペでの作品はもちろん、ミクソロジーやフレアなど奇抜なパフォーマンスで作るカクテル作品も、結局はカウンターで作って来客に提供し、喜んでもらうことが第一義のはずだ。それをないがしろにして、店でストックできない材料を使用するカクテルを創作しても意味がない。
ましてや日頃の清掃や接客を怠っては、来客に不満・不安を抱かせるだけだと思う。せっかくそのバーテンダーやカクテルを目当てに訪れても、それらの要望が満たさないのであればリピートする気は失せてしまうだろう・・・。

宇都宮のとあるバーマンは、カクテルコンペにお熱だった時期、「いくら斬新だとしても、店で作れないカクテルを創作したところで意味がない」と思い、カクテルメイクの方向性を再考したと言っていた。それを聞いて思わず唸ったが、イナダさんの思いにも通じる考えなんだと改めて感嘆した。

渋谷の某バーテンダーは自身の経歴や実力・人気からすれば、店舗拡大したり裏方に回ってもおかしくないのだが、一貫してカウンターに立つ姿勢を崩さない。これも生涯バーテンダーを貫いたイナダさんの姿勢と通じるものがある。 イナダさんは鬼籍にはいられているが、イナダさんと同じ志向でカウンターに立っているバーテンダーは少なくない。素人ながら喜ばしいことだと思う。


  以上、「【バーコラム・書評】『銀座バーテンダーからの贈り物』を読んで」を終わる。書評というか感想文というか・・・とにかく思ったことを書かせてもらった。

バー好きにとっては草創期の銀座・浅草のバー文化の一端を垣間見ることができるし、バーテンダーにとっては仕事に対する姿勢や、現NBAの歴史を辿ることができる書籍となっているだろう。また、短くまとめてしまったが、「洋酒紀行」は蒸留所周辺の風景がありありと描かれているため、いつかスコットランド旅行に行ったときにでも再読したくなる良い内容だった。

最後に、ただのバーファンからのお願い。現在、レジェンドの域にいるバーテンダーの方々には、本書のような「カクテルブック」とは異なるエッセイチックな読み物を是非とも執筆・出版してほしい。

特に青山「ラジオ」のオザキさんや上野・湯島『EST!』のワタナベさん、銀座『テンダー』のウエダさん・『MORI BAR』のモウリさんなどなど・・・今のバー界形成に尽力してきたバーテンダーの方々には、カクテルブックとは違うかたちで是非とも色々語っていただきたい。 各バー街の歴史文化的な側面をもっとよく知りたい!!!